哲学入門ー哲学とは何か?わかりやすく

ある神秘学徒の読書ノートであります。哲学に入門するためのブログであることを心がけて書きました。「哲学とは何か?」を理解してもらうために(そして、自分が理解するために)、わかりやすく哲学入門書や哲学書を要約していきました。

10分間日記

生命

投稿日:

一つ大きな仕事終えた。
言い訳だけど、とても大変で10分間日記をサボっていた。

とはいえ、また一つ仕事が入ってしまったので、また少し大変だ。
忙しく日々を過ごしていると、何を知りたくて哲学書を読んだり、日々勉強をしているのかがわからなくなってくる。

特に哲学書なんて興味がないような細かい議論にもつきあわないといけない。

実は、僕が気になってしまう問いは、生命科学者の福岡伸一先生からのものだ。
高校生のときに読んだ本がきっかけで、その問いの周りを知らず知らずのうちにうろうろしていたような気がする。

でも、僕は動物実験をできそうにないし、福岡先生の問いは生命科学に限定されるものではないから、生命科学を大学で専攻することはなかった。

福岡先生の本は何冊も読んでいる。今日は初心に戻って、とても明快に問いを書いてくれた箇所をある本から引用しよう、と思った。
とはいえ、再び読んでみると、前に感じた輝きを失っていた。

その本を初めて読んだとき(といっても数年前)はなんども読み直して感動していたのだけれど。
まあいい。書いてみよう。

生命とは何か、と問われたときに、それが、細胞からできているとか、呼吸をしているとか、DNAがあるとか、そういう属性を並べて定義・回答することが、生命とは何かについての出口となり得るのだろうか、ということです。そうではなく、生命というものの本性−属性に対して本性という言葉が正しい言葉なのかどうかわかりませんが−を本質的に答えること。属性を並べることによって操作的に答えたり定義したりするのではなくて、その本性をがっちりつかめるような言葉で生命を語ることができたなら、それが科学の出口なのではないか、と私は思うのです。
 それが答えられるということが、私にとっての「大きな絵」(ビッグ・ピクチャー)なのです。
 もちろん、実験など、科学の手続きの中で行なっていることは非常に細かい作業の積み重ねなのですが、私は一瞬たりとも、その大きな絵に少しでも近づきたいという思いを忘れたことはありません。多くの科学者は、ついつい、自分のしている細かい仕事の中で起こっていることが面白すぎて大きな絵というものを忘れがちになっているのではないかと思うことがあります。
 私は何とかビッグ・ピクチャーを得たいと思って、研究を続けてきたわけなんです。

福岡伸一、池田善昭『福岡伸一、西田哲学を読む 生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一』明石書店、2017年、34-5頁

うん。引用を書いていたら、やはり素晴らしい文章だな、と再確認できた。

何で生命という統一的な存在が存在するのだろうか。
この組織は何なのだろう。

そのような問いに答えるには、個々の細い要素を分析するのではなく、その統一体をまるごとつかみとらないといけないんだ。
例えば、あるメロディーを聞いて感動したとする。
でも、メロディーをドとか一つ一つの音に分解して分析してもどうにもならないんだ。
リズムにのったメロディーという一つのまとまりがあの感動を生むのだ。
それは有機的な繋がりであって、一つ一つの音に分解したら統一そのもの本性を破壊してしまう。

何か生命の躍動というものを鷲掴みにしたいんだ。

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